2012年7月10日火曜日

胆管がん問題と労災法における消滅時効


印刷会社における胆管がん問題をめぐる新聞報道を見ていて、気になっていたのが、労災法における時効の問題です。毎日jpなどでは、次のとおり報じています(こちら)。

胆管がん:印刷会社の発症者3人 労災認定が時効に
毎日新聞 2012年06月21日 15時00分

 大阪市内の印刷会社で従業員や退職者計10人が胆管がんを発症した問題で、発症者のうち3人は死後5年を経過しており労災認定の時効となっていることが分かった。時効は、一定期間内に権利を行使しなかった被害者に請求権を認めない規定だが、今回の問題では、印刷会社で胆管がんが発症しやすいことは厚生労働省も確認していなかった。支援者からは、時効となった発症者も補償対象にすべきだとの声が上がっている。

 労働者災害補償保険法では、労災申請の請求期間は死後5年までと規定している。

 今回の胆管がんの発症者10人は、療養中が5人、死亡5人。ほとんどの患者は入社時から約10〜20年の潜伏期間を経て発症し、療養者4人と死者2人の遺族が労働基準監督署に労災認定(補償)を求めている。

 しかし、4人が労災認定を未申請で、このうち3人は00〜06年に死亡した。熊谷信二・産業医科大学准教授の調査研究で今年5月、胆管がん多発が発覚した時点では既に死後5年以上が経過し、同法の規定で時効になっていた(以下略)


 確かに労災法42条では、療養補償給付、休業補償給付等を受ける権利は、2年を経過したとき、障害補償給付、遺族補償給付等を受ける権利は、5年を経過したときは、時効によって消滅すると定められています。
当該時効の起算日については、保険給付の支給事由が生じた日とされており、遺族補償給付であれば、労働者が死亡した日が起算日となります。

以上の整理を前提とすれば、5年前に胆がんによって亡くなられた労働者の遺族による遺族補償給付請求権が時効消滅することになりそうですが、裁判例・学説は時効の起算日について、異なる見解を取り得ることを示唆しているように思われます。

山口浩一郎上智大学名誉教授の名著「労災補償の諸問題(増補版)」(信山社,2008)に掲載されている論文「労災保険における保険給付請求権の消滅時効」(同書p389)を見ると、最近の判例傾向として、「現実行使期待可能説」の立場が紹介されています(アマゾンはこちら)。

これは権利行使に法律上の障害がなく、かつ権利の性質上その権利行使を現実に期待できる時点をもって時効の起算日とする考え方です(例えば大垣労基所長事件 名古屋高判平成3.4.24 労民集42-2-335。その他詳細は同書p399注7参照)。

山口先生は同立場を支持し、「原則的にはやはり支給決定請求権の消滅時効の起算日は民法166条1項に従い、権利行使が可能となった日すなわち支給事由発生の日とし、通常人を基準として、事実上権利行使が可能でなく妥当でない結果が生じるときは、例外的に現実に行使が可能になった日とすべきであろう」とされます。

山口先生がご執筆された時点では想定されていなかったと思いますが、まさに本件事案は「通常人を基準として、事実上権利行使が可能でなく妥当でない結果を生じるとき」に該当するように思われます。とすれば、現行法制上も時効消滅していないとの判断を取り得る(行政段階でも)し、アスベスト問題と同様に特別法を制定し、救済しても良いでしょう。いずれにしても本申請については、厚労省も上記いずれかの対応を講じるように思われます。

余談ですが、院生時代に恩師の故倉田聡先生から、「本当に良い論文かどうかは、時間が証明する」との教えを受けたことがありました。山口先生の上記論文集はそのお手本ともいえるものです。

【追記】さきほど時事ドットコムで続報を目にしました(こちら)。

原因判明時で検討=労災認定の時効起算点-印刷会社の胆管がん・厚労省
 大阪市の校正印刷会社の元従業員らが相次いで胆管がんを発症した問題で、厚生労働省は10日までに、労働者災害補償保険法(労災保険法)に基づく遺族補償給付の時効(5年)の起算点を通常用いられる元従業員らの死亡翌日ではなく、業務との因果関係が分かり、請求できるようになった時点とする方向で検討を始めた。
 死亡翌日を起算点とすると時効を過ぎる遺族が複数いるためで、業務と胆管がん発症の因果関係の蓋然(がいぜん)性が高いと判断されれば労災認定される見通しだ。ただ、因果関係に関する研究は始まったばかりで、予断を許さない。(2012/07/10-21:57)

 当然の判断かと。

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