企業における時間外割増賃金の法的リスクは、残業代の遡及払い、過労死・過労自殺などがよく指摘されるところですが、先日公刊されたある判決を見ると、更なる拡大の可能性が見られます。
S観光事件(代表取締役ら・割増賃金支払義務)事件(大阪地判平成21年1月15日 労判979-16)です。同事件では、従業員が会社の代表取締役および取締役を相手取り、商法上の善管注意義務ないし忠実義務違反を理由に未払い割増賃金についての損害賠償請求を行い、これが認められたものです(確定)。会社ではなく、役員の個人責任が法的に認められたという点で稀有な判決といえます。
今後、同判決の以下判示部分をどのように評価すべきであるのか。そして同判示部分が今後どのように判例法理として形成されていくのか(いかないのか)、大変注目されます。なお同事件については、別訴で従業員に対する割増賃金支払いが命じられているにもかかわらず、会社側が同確定判決を無視するなど特異な事情があり、結論として取締役の個人責任を問うて然るべき事案ではあったとは思われます。
「株式会社の取締役及び監査役は、会社に対する善管注意義務ないし忠実義務として、会社に労働基準法37条を遵守させ、被用者に対して割増賃金を支払わせる義務を負っているというべきである」
「商法266条の3(280条1項)にいう取締役及び監査役の善管注意義務ないし忠実義務は、会社資産の横領、背任、取引行為など財産的範疇に属する任務懈怠だけではなく、会社の使用者としての立場から遵守されるべき労働基準法上の履行に関する任務懈怠も包含すると解すべきである」
また労働基準法上の履行が取締役の善管注意義務にあたるとしても、第3者(従業員含む)に対する取締役の善管注意義務違反を理由とした損害賠償は「悪意又は重大な過失」がある場合に限られます(旧法266条の3(現行会社法第429条))。
本件については、取締役側が職務手当に時間外割増賃金が含まれていると当時理解していたことと、労基署の2度にわたる調査において割増賃金に係る是正勧告が行われないことをもって、「悪意又は重大な過失」がなかったと主張しました。これに対し、裁判所は少なくとも労基署が就業規則の周知義務違反を行政指導していたことをもって、職務手当に係る規定の周知とその趣旨どおりの運用が不十分であったことを役員が認識することは、「極めて容易なことであった」とし、その「悪意又は重大な過失」の成立をも認め、損害賠償請求を認容しています。
商法改正に際し、株式会社における内部統制構築が大きな課題でしたが、その際、労働法令遵守がこれに含まれるとの認識は比較的薄かったように思われます。しかし、本判決内容を前提にすると、時間外割増賃金などの労基法に係る法令遵守は、取締役の「株主」に対する善管注意義務に含まれ、明らかに内部統制事項に含まれることになります。そしてその義務不履行とその悪意又は重過失は上記裁判例を見る限り、比較的容易に認められる可能性があることが示唆されています。
時間外割増賃金支払いをはじめとした労働法令遵守は、もはや労務・人事などの部門に留まる問題ではなく、取締役が責任をもって対応しなければならない時代を迎えたといえるのかもしれません。
なお時間外割増賃金をめぐる法的リスクとこれに対する実務対応について、北岡・峰隆之弁護士共著で単行本を出版することになりました。「ダラダラ残業防止のための就業規則と実務対応」(㈱日本法令)です(こちら)。同リスク問題を企業実務対応の視点から詳細に解説しておりますので、ぜひともお買い求めいただければ幸いです。
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